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#4 留学、ビール、摂食障害

こんにちは、ニーナヒェンです。
※暗いこと書くのはこの関連記事だけにしま~す!

留学中、私は摂食障害でした。

これはわたしの中でクリティカルな話になるので、どこかで語っておきたいなーと思っておりましたが、ここに残しておくことにします。

書く目的は以下の通りです。

  • 「いま」つらい人の支えになりたい
  • 終わりはあるということを伝えたい
  • あやうい状況の人を一人でも救いたい

 

注意
かなり赤裸々に生々しい内容を記述しますので、興味のない方は読まれない方がいい(方法なども知らない方がいい)と思っています。

⇩#1はこちら
#1 留学、ビール、摂食障害


そもそも痩せてない

そもそも私の体形についてだが、私はこんなに太る心配をしているのに、笑えることにすごく健康的なBMIを保っていた。吐き残すし、今日は吐くまいと決めた日はきちんと三食食べてしまうから、痩せやしないのだ。一度くらい、ガリガリに痩せて心配もされたかった。気付いてほしいと思うこともあった。

相変わらず食べては不安を感じ吐くことでストレス解消し、克服しなければと思いつつなかなか解決の糸口が見つからずにいた。

楽しみにしていたはずのライブ、チケットは取ってあるのに当日になったらやっぱりその場での快楽・依存から逃れられず、そして最悪の顔のコンディションで外を出歩く気にもならず、過食嘔吐を取ってしまったこともある。
うんざりである。
でも過食嘔吐が一番楽しくて、すべて忘れられて、一番辛かった。

だが、一年前(2019年)、解決に繋がりそうないい出会いがあった。

筋トレだ。

 

筋トレとの出会い

筋トレは楽しい。
ちゃんとやり始めてからもう一年半くらい(2020年11月時点)経った。

筋トレするには、食べなくちゃいけないから。食べることを正当化できるから。
食べないでトレーニングするなど、自分から筋肉を壊しに行っているのと同じだ。一度筋肉を壊すのはどちらにせよ同じなのだが、栄養を摂ることで元の状態よりも大きく回復させる(超回復)のが「トレーニング」だ。

科学的・生物学的な「食」を勉強し、自分の身体で実験をすることで成果が確認できるのは非常に面白い。糖質、脂質、ビタミンのバランス、効率、かなり勉強した。
私自身はこんなだが、人の指導もそこそこ出来るようになった。これまで3人の同僚の食事指導をしてみたが、皆三か月で五、六キロ痩せた(かなり理想的なペース!)。

ドイツ語とも向きあう

 

ちょっと話の中心とは逸れるが、このくらいから、私は再びドイツ語と向き合って勉強を始めている。立ち直りとともにドイツ語とも向きあった。
というか、きっかけがあった。例のチューターである。

彼女はとても英語ができた。帰国子女であった。私も人並み程度に英語は出来ると思っていたし苦手意識もなかったが、英語では絶対に彼女に勝てなかった。
というかもちろん英語以外でも勝てなかった。仕事をしてももちろん勝てない。英語でも勝てない。仕事を教えていただいていると、必然的に同じ仕事をやるようになってくる。

このままだと私はただの「彼女の劣化コピー」になるのではないか?そう思った。そう思った瞬間、いつでも「お前はいらない」と言われる気がして怖くなった。わたしのアイデンティティって、なんだ。

その時、
足元に転がっていた「ドイツ語」を見つけた。
すがる思いで拾い上げた。

最初こそ「何か自分だけのアイデンティティになるものを」という思いでドイツ語にしがみついたようなものだった。一度やってきたものを捨ててしまうのはもったいない。そんな思いで、もう一度ドイツ語の参考書を紐解いた。

 

あれからちゃんと向き合って、文法・単語の壁も乗り越えて、だんだんドイツ語が好きになれた。

ドイツ語は私のことを許してくれているだろうか。
だが、「あの時は嫌いだったけど今は好き!」なんて都合がよすぎる。
私はドイツ語にも私のことを好きになってもらえるよう、またゆっくり時間をかけて向き合うしかないと悟っている。

 

摂食障害を引き起こした「真面目さ」

私は真面目である。やるなら突き詰めて成果を出したい。
一見良いように思えるが、実はこの「食への執着・真面目さ」が摂食障害を引き起こしたのだと思う。

ダイエットにおいて「カロリー計算」は基本だ。だが、人間は動物である。毎日毎日、そんな決められたカロリーで恒常的に生きているような、機械みたいなものだろうか?波があって然るべきなのではないか。
※お前はカロリーコントロールがしたいのかしたくないのかどっちなんだ、とでも言われそうな気がするが、カロリー収支など気にしないで生きていられる人は気にしない方が絶対に良いものだ。一度気にし始めてしまうと、カロリーの奴隷になってしまう。

 

筋トレについて言うと、私にはスタート時点で既に不利な点があった。
私は過去過食・断食やカロリー不足のまま二時間ランニングなどを繰り返していたため、恐ろしく筋肉量が落ちている。※当初「痩せた」と喜んでいた自分にビンタの一つでもかましたい。それは痩せたのではなく、筋肉が落ちていっただけなのだ。

筋肉を付けるのは難しい。プロのボディビルダーでも、一年に二キロ筋量を増やせれば万々歳だそうなのだ。これも過去のダイエットの弊害である。脂肪を落とすより、筋肉を増やす方が難しい。そして、筋肉だけを付けるのも至難の業だ。もどかしい。というわけで、一年半やっている割には恥ずかしいことに全然ブヨブヨではある。

 

食べることは悪ではない

筋トレと出会ったことによって、カロリーは、糖質は、悪ではないと思うことが出来るようになった。うまく利用して筋肉を増やすために必要なものだ。そして体重はあくまで見かけ上の数字であり、その内訳が脂肪なのか筋肉なのかは分からないのだ。

身体が重くても筋肉で引き締まっている身体ならいいじゃないか。そう思えることが増えてきた。まだまだ飲酒・外食・予定外の食事等で体重が増えるととても不安になるが、こういう不安を招いてしまう要素を減らして、大丈夫だと思えるようになって、初めて克服になるのだと思う。

 

具象と抽象

解決の希望を遠くに確認しつつも、まだ過食嘔吐の誘惑を簡単に頭から排除することは出来なかった。失敗しては筋トレで立ち直り、また失敗して、ということが続いてはいた。

過食嘔吐とは「具象」である。それに対し、過食嘔吐を辞める、克服するというのは「抽象」である。具体と抽象が闘うとき、ここでは過食を辞めるためには、そこから得られる報酬、快感よりももっと大きな「何か」が必要である。依存症との闘いとはいつもこうだ。具象と抽象との闘い。つらいとき、具象に逃れることは簡単である。「これをやれば」ということが分かり切っているからだ。それを抽象の力で封じ込めるのは至難の業である。ここに依存症克服の難しさが深く根を下ろしている。依存の期間が長ければ長いほど、それは深く太く根差し、脳に染み付いてしまっている。

 

ここからさらに進歩が見込めたのはつい最近だ。
※そろそろ前向きな話題を書いていきたいと思っている。暗くてすみません。

2020年春、
コロナ拡大による外出自粛期間、私は実家に戻っていた。

 
⇩#5はこちら(完結)
#5(完結) 留学、ビール、摂食障害

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