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1月17日ポエム|がんばった後はいつも死んでいる【摂食障害格闘記】

みんな生きていて嫌なこと、ストレスになることがゼロだなんてありえないなんてこと分かっているし、あたかも自分だけつらいみたいな顔してSNSにポエムを垂れ流すのはもはやテロであると思っている。他人には他人の地獄がある。

でも自分のブログだったらポエム(ポエムというより現状思っていること)を書いておいてもいいかなーとも思う。
これがどん底だと思えるとしたら、数年後の自分に指さして笑ってほしいなーとも思うから。

※思いついた順に書いているので支離滅裂気味


 

1/17。久しぶりに何もしたくない何も出来ない状態になった。
こうなると一日中横になっていることしかできない。

ドイツ語も見たくない。
こういう日は周りの人間がドイツ語を頑張っているような話を見たり聞いたりすると、相対的に自分の生産性のなさが浮き彫りになり憂鬱が加速する。

いや、何もしない方がまだましで、食べて吐くことは出来る。
いいことなんて何もないの分かってるのに。
こういう状態にある日の自分は、もはや人間じゃないんだろうな~と思っている。モンスターなんだろう。食べて吐くだけの恐ろしいモンスターなんだろうな。人間になりたい。

どうしてこうなったんだろう?
こういう状態になるたびにいつも考えるのだが、いつも原因にたどり着けない。
(アドラー的には原因などという考え方はないのかもしれないけど、つい原因とか原点みたいなものを考えてしまう)
どこで普通が出来なくなっちゃったんだ?

 

気付いてはいたけれど、やや躁の気があるよな~と思っている。
出来るとき・全知全能感があるときと、どん底にいるときとの差が激しすぎる。
※これに関しては一度カウンセリング的なもので話してみたことがあるのだが、「躁鬱の場合はもっと波が大きい、特に躁の」と言われてじゃあ自分はそこまででもないのかと納得したこともある。

 

こういう精神状態の自分を客観的に見ていつも悲しくなることが一つあるのだが、誰かと一緒に生きたいけど、この状態で誰かと一緒に生きるなんてハードルが高すぎる。私はこれが治るまで誰かを守ることは出来ないし、そういう存在を作らない方が幸せだとも思っている。だって自分を守れない癖に誰のことも守れない。
25歳、周りにケッコンの第一波が訪れる。嘘だろ?なんでみんな普通の顔して誰かと一緒に生きているんだ…?私は自分が生きるか死ぬかで精いっぱいなのにな…

摂食障害は死ぬ病気じゃないとか気持ちの問題だとか言われて大暴れしそうだ。確かにそうかもしれない。けど、じゃあこのまま食道とか胃でもやってどうにかなったらいいのか?

ドイツ語やらなきゃ(やった方がいいよな)。英語とも向きあわなきゃ。筋トレ行かなきゃ。ランニングしなきゃ。食べちゃいけない。いつもこんなことを考えて生きている気がする。自分でもわかっているのだが、これらが出来てはじめて100点だと思っているのがよくない。生きているだけで100点だと言ってくれる方がいた。プラスなにか出来たら加点するだけだと。今の私は減点減点して1/17なんかマイナス120点くらいの出来だと思っている。自分で書いていてつらすぎる。

 

とはいえ 多分一昨年くらいまでの私だったら、またこのまま潰れて嫌になって、なかなか立ち直れなくなっていただろうと思う。でもいつまでもそれだと何も進歩がない。から、転んでも起き上がってまた人間を始めるしかないんだろう。だから今はフラットな気持ちで昨日心に起こった出来事を書いている。

総括;普通の人間になりたいよ~
あと死にたいだけは絶対に言わないようにがんばろう

 

余談だが、食べて吐くことを繰り返すと翌日アゴが痛すぎる。

落ち込んだとき、「美味しいもの・食べたいものを食べて元気を出すのがいい」と仰って下さる方が多い。
それが出来ない人はどうやって元気を出したらいいのかなあ。
上記のアドバイスを下さる方にそんなこと出来るかよと言っているつもりはさらさらないのだが、シンプルにそれが出来ない人はどうやったらいいんだろうかと横になりながらぼんやりと悩み、そして悩むたびに私が普通でない気がしてまたベッドの底にそのままずぶずぶと沈んでいくような気分になっていくのだった。

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