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#2 留学、ビール、摂食障害

こんにちは、ニーナヒェンです。
※暗いこと書くのはこの関連記事だけにしま~す!

留学中、私は摂食障害でした。

これはわたしの中でクリティカルな話になるので、どこかで語っておきたいなーと思っておりましたが、ここに残しておくことにします。

書く目的は以下の通りです。

  • 「いま」つらい人の支えになりたい
  • 終わりはあるということを伝えたい
  • あやうい状況の人を一人でも救いたい

 

注意
かなり赤裸々に生々しい内容を記述しますので、興味のない方は読まれない方がいい(方法なども知らない方がいい)と思っています。

⇩#1はこちら
#1 留学、ビール、摂食障害


太らないで帰れた

幸い、渡独してから体重に変化なく帰国することが出来た(むしろちょっと減っていた)。

皆私の帰国を喜んでくれた。帰国してすぐに家族で外食に行き、和食を食べさせてもらった。
食事は美味しかった。けれど、普通ではない量を無心で食べてしまった気がする。止められなかった。この頃にはもう食欲がバグっていたんだと思う。吐きそうになるまで食べることを辞められない。

なぜか痩せて帰ってきた娘が、呆れるほど大量に食べている。母は、この頃には娘はちょっと変だと思っていたようだ。

 

大学は地獄だった

春休みが明けると大学に戻った。
同級生だったはずの友人は学年が上がり、先輩になった。卒論に苦戦していた。

でも、どこか楽しそうだった。きらきらしていた。私の知らないところで、私よりもうんと前に進んでいる気がした。

 

一つ下だったはずの後輩は同級生になった。
私は皆とは一年の差があるはずなのに、彼らに対して何もアドバンテージがあるとも思えず、むしろ劣等感を感じていた。一年遅れた割には一体何を得られたのか?私の一年は無駄だったと思った。だって何も変わっていない。フレッシュで親切な新同級生が、最初はとても苦しかった。

 

わたしは「留学した人」

さらに、皆私を「留学した人」という目で見た。

ドイツ語出来るんでしょ?楽しかった?
正直、やめてくれと思った。これっぽっちの留学で第二外国語が出来るようになんてなるわけあるか。いや、自分がやってない、出来なかったのが悪いんだけど。楽しかったわけあるか。

「楽しかった?」と聞く人は、大体皆おいしいものを食べて、飲んで、旅行をして、友達を作って、といった類の楽しみを享受してきた、という回答を望んでいるのだ。犠牲にしても得られたものなんて何にもない。私が守りたかったものは、それらを犠牲にしてまで守るようなものでもなかったのか。でも当時は何も出来ないうえに太って帰ったら人生の終わりだと思っていたのだから仕方ない。ただ、そんなことを親切で話しかけてくれる相手に言うつもりはない。いつも答えは「楽しかったよ」だった。

大学は苦しかった。特に春先のうららかな雰囲気、何かを期待して、待ちわびるような気配が蠢いている。明るい気配を直視できなかった。なにもない私には居場所がなかった。地方大学、田舎のワンルームは、息がしづらかった。

ドイツ語は辞めた

今(2020年11月)でこそ、「当時本当に嫌いだったのは、ドイツにもドイツ語にもちゃんと向き合わなかった自分自身だ」と気づいてはいるが、当時はだめだった。こんな状況になったのはドイツ・ドイツ語も関係あると思っていたから。

ドイツ語と向き合うことができなくなってしまった。

これは、時間が解決してくれた問題である。後ほど記載。

 

過食は続く

知らない間にスーパーで、コンビニで、吐きやすそうなものを、普段食べられないものを買い込んでは無心で食べた。知り合いに出くわさないかと怯えながら買い出しをする姿はさぞ惨めだったことと思う。

食べちゃダメだと思いながら食べる食事は全くおいしくなかった。何度胃を切り開いて中身を出してしまえたらと思ったものか。食べた翌日は断食だった。何にもやる気が起きない。横になって時計を眺めているだけ。時計が進むのはおそろしく遅い。死んだように生きていた。

それでもなぜ過食を続けていたか。食べている時だけはほかに何も考えなくてよかったからだ。いつだって劣等感と後悔、無力感がおそってくる。それから逃れる方法が、他に、ない。

 

帰国してからカフェチェーンでアルバイトを始めた。
幸いなことに、ここに来ると救われた。ここでは皆が後から来た私に親切にしてくれて、教えてくれて、私も教えるようになって、頼られて、居場所が出来た気分だった。

ただ、当時も相も変わらず過食しては断食し、過食しては断食していた。
あるタイミングで、過食翌日の断食が出来ないことがあった。食べてしまった。
アルバイト先では社員価格で食品や飲み物を買うことが出来る。余ったものを頂けることもある(本当は良くなかったのだろうけど)。帰りに、一口、食べた。スイッチが入る。止まらない。もっと欲しくなる。気が付いたら、食べている。

どうしよう。

昨日も食べたのに。

どうしよう。

 

吐けばいいんだ

世の中には、食べたら吐いてしまう類の病気があることは知っていた。
吐き方も。Twitterというのは便利なものだ。いろんな人が、いろんなやり方を教えてくれる。食べられないときに過食の人たちのアカウントを見るのは楽しかった。同じ理由で大食いの動画も好きだった。食べられない気持ちを他人に満たしてもらうようなものだった。吐き方は、その中の過食嘔吐の人に教わった。

今日は食べたら吐く。ドキドキしながら食べた。
そもそもお酒を飲んでも吐いたことなんて人生で2回程しかない。吐くのは苦手だった。
いつも通り、胃が背骨を圧迫するくらい伸びて、苦しくなる。もう胃に入れてしまったんだ。背に腹は代えられなかった。出すしかない。何を食べた?いつもは食べられないドロドロの菓子パン、揚げ物、アイス。このまま5,000kcalを吸収することになるなら。

指を突っ込んだ。
嘔吐反射が来るけれど、初めは上手く吐けなかった。
パニックになった。必死で調べた。吐けない。吐けない。食べたのに。太ってしまう。終わりだ。
その日は全然吐けなかった。終わりだった。自己嫌悪でしかなかった。お腹が重くて、このまま死んでしまいたいと思った。

 

上手に吐く方法を調べた

その後、上手に吐く方法を調べた。吐くには水分がもっと必要ということを知った。
底に当たる、食べ始めの食材を決めておくことが大事だということも知った。
お米、餅は吐きにくいということも知った。

いろいろな知識を得て、私は上手に吐くということを覚えてしまった。上手に吐くことを覚える。ここがその後の岐路だったのだと今では思う。悪い方に進んでしまった。食べても吐ける!上手に吐くと、なぜか食べる前よりも体重が減っていることもある!魔法を覚えた気分だった。楽しい!食べて吐くということは、この頃には捨てられない「趣味」となっていた。吐くことなんて覚えられなければよかったのだ。ちなみに嘔吐での最重要アイテムは、100均のビニール手袋である。ビニール手袋を付けた右手を飲むように突っ込むと簡単に嘔吐反射が来る。

こうやって、戻れなくなる。
皆初めは「週に一度だけ」「ストレス解消になるなら」で始めるのだ。麻薬みたいだ。いや、麻薬なんだと思う。過食嘔吐は中毒になる。依存症なんだ。食べて吐くことに依存している。

 

過食嘔吐が日課になる

一番ひどい時で、一日に三回食べては吐いていた。朝も昼も夜も、まともに食事なんてしてない。
人間、吐くという行為には非常に体力を使うらしい。一日三回吐く日は、吐いては寝て、吐いては寝ての繰り返しで一日が終わる。無様だ。

過食嘔吐をしていて一番困るのがお金だった。お金がない。ひとさまが作ったものを吐くことは出来ない。謎の良心がまだあった。そうなると、食べて吐くものはいつもスーパーの菓子パン(吐きやすい!)、お惣菜かコンビニの食材だった。詰め込んで吐けるまでの量を買うのに、一度に二、三千円は使う。これが一日に三回だ。一日で諭吉が飛んでしまう。これまで過食に使ってはドブに捨ててきたお金のことを考えると…それがもう何年?考えたくもない。

生きているだけならまだしも、一日生きるのに一万円使う、何の生産性もない行為に。これ以上穀を潰してしまう前に、もう生きていない方がいいと何度も思ったが、誰に泣きついていいのかわからない。

 

ちなみに上手く吐けると体重が減ることがあると言ったが、それは別に痩せたとかそういうものでは決してない。一時的にカラカラのスポンジになっているようなものである。次の食事をすると、ドーンと体重が元に戻る(というか、それ以上に戻る)。何度かこんなことはもうやめようという挑戦をしたことももちろんあるが、元に戻る、増える体重を見ていると怖くて辞められなかった。

 

過食嘔吐は人を醜くする。一番ひどいのは、唾液腺の腫れだ。吐くと同時に、本来は吸収されて再利用されるはずの唾液も捨てられてしまう。唾液腺というのはちょうど耳の下、アゴの当たり二か所にある分泌器官だが、唾液が足りなくなるから過剰に働きすぎてしまう。そうすると腫れる。唾液腺が腫れると顔がパンパンになる。それはもう人になんて会えない顔になる。痩せたくて、綺麗になりたくて始めたはずの嘔吐は、なんのメリットももたらさない。

こんなものは、まだほんの始まりだった。
長い過食嘔吐との付き合いが始まった。

 

⇩#3へ続く
#3 留学、ビール、摂食障害

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