こんにちは、ニーナヒェンです。
※暗いこと書くのはこの関連記事だけにしま~す!
留学中、私は摂食障害でした。
これはわたしの中でクリティカルな話になるので、どこかで語っておきたいなーと思っておりましたが、ここに残しておくことにします。
書く目的は以下の通りです。
- 「いま」つらい人の支えになりたい
- 終わりはあるということを伝えたい
- あやうい状況の人を一人でも救いたい
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#1 留学、ビール、摂食障害
奇跡的に卒業できた
大学四年生(五年目)はずっとこんな調子で苦しかった。この時期の状態はこれまでの中でも一二を争う危うい状態だったと思う。
だがとても恵まれた、いいこともあった。
大学のゼミの仲間はとても親切だった。ゼミに戻ってきた時(帰国後)の私は、先日申し上げた通り不貞腐れて下を向いていたはずだ。我ながらぶん殴りたいほどネガティブだったと思う。でも、ゼミの仲間は本当に皆親切だし勉強が出来た。色々な手助けを頂き、お蔭様でなんとかゼミの発表を乗り切り、各種手続きで相談させてもらい、卒論も書き上げることが出来たのだと思う。本当に感謝しきれない。
恥ずかしい話、教授に研究の進捗を相談しに行って、そのまま泣いてしまったこともある。生きることに精一杯なのにこんなの出来ないと何度も思った。ただ、私にもう一年の留年はどうあがいても残されていないとも思っていた。
もうこんなことは微塵も思っていないのでとても恥ずかしいのだが、特に家族にとっては私はそこそこ出来る長女だった。留学を無駄にしてきてしまったという後ろめたさがある。これ以上期待を裏切りたくなかった。卒論を書き上げられないということは、社会的な死を意味していた。社会的な死はまわりの人間を巻き込む。体が死ぬことよりもきつい。どうしても避けねばならなかった。ゼミの仲間の助けも相まって、なんとか卒業する、この時点での社会的な死を免れることが出来た。多分このタイミングで卒業していなかったらもう卒業なんて出来ていないと思う。きっと大学辞めてた。
酒類会社に就職した
卒業後は酒類メーカーに就職した。
なぜ?お酒は好きだ。でもお酒を飲む自分は嫌いだ。なぜだろう。「大企業」に就職すると、周りが喜んで褒めてくれるから。そんな程度だったんだと思う。この状態でこの会社に就職するのは間違っていたのではないかと、今でも思う。
入社したときは、これをきっかけに治そうもと思った。出来るはずない。
お酒が好きで、たくさん飲むほどかわいがってもらえる気がして、飲みたくもないのに飲んで、後からたいてい自己嫌悪に陥って最悪吐く。バカだから。それでも人前ではヘラヘラせずにはいられない。
お酒と過食
お酒を飲むと多少食欲が増すのは、普通の作用であると思う。だが、それが過食の引き金になることが非常に多い(というか酒を飲んだら大体吐いていた)。宴席で食べた後、帰り道、キオスクで、コンビニで、菓子パンを買って食べながら帰る。我慢できなくて電車で食べ始めることもある。異様だろう。完全に個人の体感であるが、お酒が入ると消化が遅れる。要は、胃に長時間食べたものが滞留できる。ということは、後からでも吐ける。こういうことも相まって、お酒を飲んだ日はそのまま過食嘔吐することが多かった。
だから、実は私はお酒を飲むことがあまり好きではなかった。自分で引き金を引きにいくようなことは、出来るだけ避けたい。
大前提であるが、できれば過食は辞めたいとはずっと思っていた(思っているだけだが)。過食嘔吐の後に残るのは、大量の食べ物のゴミと、後悔と、むくんだ顔だけだ。
逃避先としての過食
社会人一年目はストレスが減ることもなく、過食嘔吐での逃避を続けた。
勤め先は「「大企業」」のため、きちんと給料もボーナスも出して頂ける。しかし貯金なんて一円もできなかった。全部、吐くのに使っていたから。社会人になれば都内での一人暮らしの中で別の楽しみを見つけ、過食の頻度も減ればいいななんて呑気なことを思っていた。しかし何の対策もせず漠然とこうなればいいなあなんて思っているのは全くの愚だったとしか言いようがない。お金はあるだけ使える。なんの実りもない、食べてトイレに流すだけの作業に。
私のような人たちには、割と厳しめのマイルールが存在することが多い。特に「食べる」ことに関して。私は普通に食べるもの(=吸収食。吐かないから)を決めており、一日の食事摂取も計算して守っていた。お昼はお弁当を持っていくことが多かった。
社会人一年目では、マンツーマンで指導してくれる女性のチューターがいた。彼女はとても良い方ではあったが、ランチの誘いを断るのは辛かった。「お弁当なので」で断るのもしんどかった。たまの付き合いと思って外食するときは、どこへ行っても予定外の食事量で、いつも食べてしまったことへの不安しかなかった。
一度、チューターの彼女が裏で「○○さん(私)は、食べられるものが決まってるから(失笑)」みたいなことを言ってると聞いてしまった。
それ以来どんなに親切にされても絶対に許さないことにしていた。仕事を教えて頂けるのはありがたいが、それ以前に私は彼女を人間として絶対に許すことが出来なくなってしまった。
お金がない
これはかなり恥ずかしく、現実的で、悲惨な悩みだった。お金がないということは、どうしてこうも人の心の余裕を奪うのだろうか。
もう摂食障害四年生のベテランであるが、過去を振り返っても一番ひどかったのは大学四年時と、社会人一年目であった。毎日吐いていた。休みの日は一日三回。むしろ仕事を始めてからは、帰ったら吐けることを楽しみにしていた。一回二、三千円、一日三回。
それでも過食費は必要経費だった。今はこうやってしか、生きられない。毎月過食費を見積もっていた。
風俗の面接に行く
一度風俗の面接に行ったことがある。
社会人一年目の夏だった。
もう限界だと思った。Twitterで見ていたのだが、過食嘔吐者には夜職従事者が多い。お金の出が激しいから、入りも多くなければいけない。過食費を削ることは出来なかった。
ネットで適当に条件のよさそうな風俗求人を探す。メールする。あれよあれよと面接が決まってゆく。池袋北西口。※ここは池袋屈指のラブホ街風俗街なので、用事がなければあまり立ち寄らない方がいい。駅に着いたら電話してくれと言われていたため、電話をかける。指示に従いながら道を歩いていく。地味なビルの前。○○柄の服を着た方ですよね、迎えにゆきます。と言われる。私を見ている。こわい。こわいなら、最初から来なきゃいい。でもこわいものはこわい。だが、これ以上過食の傷口からお金という血を流し続けるのは限界だ。
スーツのひょろっとした地味な男性が迎えに来た。連れられてエレベーターを上がる。目立たない扉を開ける。
そこはもう譲の待合室だった。風俗嬢の待合を初めてみた。みんな、すごく普通だった。パーテーション一つで区切られた自分のスペースで化粧をしていた。普通の大学生が、OLが、風俗に勤めていた。
面接があった。
スーツを着こなして、身だしなみもきれいな、仕事が出来そうな男性だった。なぜ働きたいのか。なぜお金が必要なのか。過食のことも少し話した。
うーん、ここにはね、学費を稼がなくちゃいけないとか、親が働けないとか、本気でお金が必要な人が来るんだよ。お前にはその覚悟があるのかと聞かれている気がした。
今日、体験もできるけど、どうしますか。
やりますと即答できなかった。俯いてしまう。
暫くしてその人は、私の方を見て、ぽつりと言った。
「あなたね、まだ、ここに来るべきではないよ。」
策、潰える
惨めだった。帰りの夕陽が突き刺さる。私は、既に働いている彼女たちの仕事を侮辱しに行ったのだ。自ら出来る度胸もないくせに、冷やかしに行ったのだ。そんなつもりじゃないなんてどの口が言えるのか。この時に引き返したのが良かったのだろうか。ここにも分岐点があったのだろうと今は思う。上手く吐けて、お金の入りも良くなったら、きっと、過食なんか一生辞めないだろう。よかったのだろう。だが当時は、最終手段としての策が潰えてしまった絶望でいっぱいだった。
心も身体ももうぼろぼろだ。
そのうち逆流性食道炎か食道癌かなんか発症するのかもしれないと思っていた。だが人間は案外丈夫に出来ているらしい。
やめたい。やめられない。地獄は続いていく。
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#4 留学、ビール、摂食障害