発音に関する議論。ドイツ語の音を作るときの話。
私たちが例えば日本語ネイティブスピーカーだとしたら、「完璧なドイツ語の音」を作ることはかなり難しい業だったりする。普段日本語を発音するときに使わない筋肉、使わない口のかたち。これを完コピすることはかなりむずかしい。
私もネイティブが作る音にできるだけ寄せたいとは思う。だからよく聞くし、よく似せるし、音読、シャドウイングをとおして練習したいとは思う。
他方、ある種「日本語ネイティブらしい発音」「日本語スピーカー的な音」は、アイデンティティというか、個性、いいところ、スピーカーの持っている魅力だとも思っている。たとえば私が英語を話すときに言われる「ドイツ語みたいな英語だね」は(ネガティブな意味を持つこともあるのかもしれないけど)私はポジティブな意味で捉えている。
ただし、「発音を間違えていることで意味が通じない」のはネガティブだと思っている。
非ネイティブでもかなりいい音で発音を作ることができる人もいれば、そうじゃないこともある。
つくる音自体は日本語的な音でもいいとは思っているのだけど、例えばウムラウトを無視していると意味が異なってしまうこともあるという点で、「通じない、意味が正しく伝わらない音」の人もいる。極端に言えば、「通じればいい、通じないといけない」と思っている。意味がとおらない音は直さないといけない。
発音が「きれいな」人って、耳がいいのかな。
耳がいい人、聞こえる音を正しく認識してそれを自分の口で、あごで同じように作る力。
私が聞こえるドイツ語の音、「こういう風に聞こえるからこうしてみるといいのでは?」と意見したい音、最近「発音辞典」を買ったのだけれど、まさに私が思ったものと同じことが書いてある。
私は耳がいいのかな?
最近オランダ語ネイティブとかかわることが増えたので、ちょっとオランダ語の挨拶とか、表現とかを教わっている。ネイティブに教わることができる最大のことは発音だ。ネイティブじゃなくてもいいけど、生身の人間にならば発音するやいなや「そう」「そうじゃない」「もっとこう」とアドバイスをもらいながら学ぶことができる。初期の段階でネイティブに教わる、一番効率的なことは「発音を学ぶこと」だと思う。
オランダ語ネイティブに発音してもらう。わたしも真似をする。何度やっても「ちがう」「ちがう」と言われる。
あれ、わたし耳がいいからドイツ語の音がわかるんじゃなかったっけ?
私はたぶん耳がいいんじゃなくて、「ドイツ語に関しては気を付けながら、意識しながら、自分の耳から入る音と口から出る音に意識をかたむけながら、作ってきた」んだと気づきました。
「耳がよくない」ひともこれならできる。
意識する。意識しないと直らない。意識できない部分もある。それはひとに直してもらわないと直らない。
直してもらうこと、直してくれるひと、大事にしていきたいな~と思う。私も耳がいいわけじゃないから。