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誕生日、なぜめでたいのか(2021)

こんにちは!ニーナ(@ni_na_de)です。今日2/17は私の誕生日です。※私は217生まれだからニーナです。安直ネーミング

誕生日って生きているだけでなぜか祝われる日。誕生日、なにがめでたいのか考えながら散歩をしておりましたので、(何番煎じだかもうわかりませんが)考えていたことをまとめておくことにします。

よくある論:生きていることに感謝する日

誕生日は祝われる日であると同時に、「両親はじめ周囲の方に感謝する日」であるとされる論はたびたびなされます。健康に一年を過ごせたことへのありがとう。もちろんそうだとも思う。両親が私が生まれてきたこの日にどんな顔で、どんな思いで私を覗き込んだのか。どうやって守られてきたのか。普通に生きることが出来るこの時代でも、生きてこられたことに改めて感謝する日、そういう話はよくされるものだと思うし、正しい考え方だとも思う。
だが、それは「ありがとう」であって「おめでとう」ではない。じゃあめでたいって何なのか。

「おめでとう」は、何か努力して掴んだ先でいただけるもの

めでたいこととおめでとうと言ってもらえることって、ちょっと違いがあると思っています。「結婚おめでとう」みたいなものはめでたいこと。合格おめでとうみたいなものももちろんめでたいのですが、こちらはおめでとうと言ってもらえることに当たるのではと思う。これは26年しか生きていない私のイメージにしか過ぎないのですが、「おめでとう」は何かを成し遂げた先で頂ける言葉なのではないかと思います。じゃあ誕生日に「おめでとう」と言って頂けるということは、自分が何かを努力して掴んだということなのか?

いろいろなものを頼って一年間生きてきたことへの「おめでとう」

何かを努力して誕生日を迎えたことに対して「おめでとう」と言って頂けているとしたら、それは「周囲いろいろなものを頼って一年間生きてきた」ということへの「自分おめでとう」になるのかなと思いました。それは、私が何度も死んだ方がいいと思ったことがあるから、余計にそう思うものです。

摂食障害も5年生になって、ひどいときは一日に諭吉を溶かすくらい食べて吐くことだけにおカネを使って、そんなふうに生きているとむしろ生きていない方が有益だと思ったりもしました。死んだ方がいいと思った日も何回もある。だけど生きてる。私一人の力じゃ生きていないです。不思議なタイミングで周りが助けてくれたから生きてる。本当です。顔も声も知らない人が助けてくれたり背中を押してくれたりもしました。本当です。数え切れないもの・ことに助けられながら生きていることはきっとめでたいことなんだなあ。

でも、人間ってそうやって生きていくのかもなとも思います。もちろん助けて頂けることは当たり前なことじゃない。助けられて、出来れば私もいろんな人を助けたりして、やっと一年間生きてこられるんだろうなと思います。だからきっと、いろんなものを頼って一年間生きてきた自分を努力して掴んだのだと思いました。自分、おめでとう!また生き延びたな。それが功績でありめでたいことなのです。

もちろんそれと同時にこうやってまた一年間生き延びるために力を貸してくれた全ての人にありがとうと伝えたい日でもあります。本当にありがとうございます。

というわけで、誰かのお誕生日にはわたしも「自分と周りの力を借りてまた一年生きてこられたことにおめでとう。あなたの功績がめでたい」という気持ちでお祝いしようと思います。そしてまた一年生きていくために、人の力は借りるし、人に力も貸していける人間になりたいと改めて思いました。

改めて、26歳になりました。お祝いくださったすべての皆様、本当にありがとうございます。26歳もやること・抱負は年初に立てたものと同じです。ドイツ語・貯金・健康。最近やっぱり健康を整えることは簡単なことではないと感じています。何度も失敗するけど、それでも立ち上がって健康な心身をつかんでいきたい。そう思います。

皆様に恩返しが出来るとしたら、私がだれかの「あなたがいてよかった」「あなたの動画・YouTubeに出会えてよかった」と思っていただけることかなと思います。これからも精進します。どうぞ引き続き、よろしくお願いいたします。

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