※摂食障害の描写があります、スミマセン。
いろんなところで言ってはいますが、私はわりと重度の摂食障害(過食嘔吐)をほぼまるまる3年間やりました。過食嘔吐が酷くなるとどうなるかというと、毎日3回食べて吐くわけですが、そうなるとどうなるかというと、朝起きて食べて吐いて、吐くとぐったりしちゃうので横になって2時間ほど寝、また起きてちょっとは食べるかと思って食べたら過食スイッチが入ってしまって食べて吐いて寝、また起きてを繰り返すわけです。何をどれくらい食べるかというと、過食スイッチは急に入るわけなので予め安く買っておこうとか自分で作ろうという頭があるわけでもなく、いつも最寄りのコンビニに駆け込んでお弁当や菓子パンを買い込むわけですが、吐き気がするほど食べるまでにはだいたい1回3000円くらいはかかるわけです。なので1回3000円×3回やるとそれだけで何の生産性もない諭吉(もうすぐ諭吉ではなく渋沢ですが)が消えていくわけで、どんどん資産が減り、だけど過食は意志で辞められるものでもないのでオカネをなんとかしなければならず夜職をやったりする人もいるわけですが、そうして金銭面で工面できるようになってしまうとむしろ更に抜け出せなくもなっていくわけです。私もお金がないけど過食をしないと生きていけないという時期があり、風俗の面接にまで行き、店長さんに「まだここに来ない方がいい」と断られたこともあります(後から考えてみればこの時私のことを適当に商品として扱えばよいと思っていれば適当に迎えてくれたはずだと思うので、店長さんはすごいというか、不思議な判断をされているなと思うわけです)。
こんな⇧ことを経験しているので、今過食せず普通に食べてたまにはお酒も飲んで外食もして体重にもそんなにこだわりすぎず生きることが出来ているのが奇跡みたいです。治らないと思っていたので。治るとしても十年くらいはかかるなと思っていたので。依存症は依存していた期間×3~4年くらいは寛解に要すると聞いたことがあります。
ドイツ語のこともそうですが、私は今やっているもの・ことが元から全部出来たわけでも好きだったわけでもありません。ドイツ語も留学時代はとても嫌いでドイツにも二度と行かないだろうなと思ったりしました。摂食のこともそうで、私が「こういうこともあったけど今はなんと多少良くなったことでこうやって生きることが出来ているよ」ということを発信することで、今まさに苦しい人が救われるんじゃないかと思うわけです。私も「本当にこんな食べて吐いてるだけしか出来ないのであれば死んだ方がいいんじゃないか」と思ったことも何度もあるのですが、そのときに摂食障害を治した人の経緯や方法が書かれたブログやSNSをよく見て「こういうときが来るかもしれない、もうちょっとがんばろう」と思えていたからです。
「摂食障害だったんです」というと、どこかかわいそうな自分を演出しているというか、かわいそうだったんです私という雰囲気があるかもしれないなと思い、そういう意図で言っているわけではないので、摂食の話をすることについてはしない方がいいのか悩むこともあります。そもそも「食べて吐く」ということが一般的には理解されないことも分かっています。
が、今こうやって自分で書いていて、「やっぱり言っていったほうがいいのかも」とも思いました。まさに既述のように、当事者の方から「私も頑張ろうと思いました」という嬉しい連絡を頂いたこともありました。私はこういう方のために、自分が苦しかった時のこととその後どうなっていったかということは話し続けた方がいいのかもとも思っているところです。
だから、苦しい思いをしている方はいつでもぜひ連絡してください!ドイツ語のこと以上に寄り添いたいです。寄り添いつつ自分は強くなり、苦しい思いをしている人にはひとまずもう少し生きてみようかなと思ってもらえるようなものを作っていきたいです。